2011年4月25日月曜日

“同感!”の記事について

先日“東電・清水社長が避難所訪問、土下座で謝罪”のニュースに対して、mixiの日記のコメントに”同感!”というタイトルでブログを書いたのだけど、その後友人から情報を貰い、その中に間違いがあることが分かったので追記しておきます。

間違っていたのは“地震や津波への対策に関しても、想定出来る範囲で備えていたはずで、それを今更“想定出来たはず”と言うのであれば、むしろ何故それを警告しなかったのかの方が疑問だし”の所。

以下、Wikipediaの福島第一原子力発電所事故の中の“地震と津波への対策”から一部省略しながら引用。

“事故前の警告と政府・東京電力の対応”の中では、吉井英勝衆議院議員は、2006年3月以降、3回に渡って国会や内閣に津波対策の不備を指摘し、冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告したとのこと。
で、初回の2006年3月1日の国会質問では、当時の経済産業大臣は対策を約束したが実際には改善を行わなかった。
2回目の同年12月13日には、内閣に「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」提出したが、当時の内閣総理大臣は「事例はない」と退けた。
また、3回目の2010年4月9日にも衆議院経済産業委員会で同じ問題を取り上げたが、当時の経済産業大臣は「様々な仕組みをつくっている」と断言し、やはり安全対策を講じなかったとある。

また、産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡村行信センター長らは、2009年の国の審議会(原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会)で、大地震や津波を考慮しない理由を東京電力に対して問い質したが、東京電力は「まだ十分な情報がない」「引き続き検討は進めてまいりたい」と答えるにとどまったとある。

他にも、“福島原発事故後”の中では、米ゼネラル・エレクトリック (GE) 社の技術者は、1975年の時点で冷却装置が故障した場合に格納容器に動的負荷がかかることを勘案した設計が行われていないと認識し、変更などを申し入れたが受け入れられないことに抗議して退社したとか、1970年-1980年頃に4号機を除く5機の設計や安全性の検証を担った東芝の元技術者達は、「M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性を想定するよう進言したが、『千年に一度のことを想定する必要は無い』と一笑に付され、起こる可能性の低い事故は想定から外された。当時は『M8以上の地震は起きない』と言われ、大津波は設計条件に与えられていなかった」と語ったとある。

ということで、とにかく警告はされていたという事。
だた、警告を想定の範囲内と捉えるのか?捉えないのか?については意見が分かれる所。

原発メーカーの元技術者は「今回のような大津波やマグニチュード9の地震は、想像もできなかった」「起こる可能性の低い事故は想定からどんどん外された」と語ったや、これはWikipediaの原子力安全委員会のページからだけどそこには、原発における長期間の全電源喪失は、日本では想定外で「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又(また)は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」と想定していたとある。

先の安全性の検証を担った元技術者の進言が、2001年に起こったアメリカ同時多発テロ事件(9.11)以降であれば、“航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性”というのももっと現実味があったのかもしれませんね。

前回のブログ、結局何が言いたかったのか分からなくなった感じでしたが…。
今回の事故の影響を少なくするために“自分だったら何が出来たかなぁ?”と考えると、出来た事は全くと言っていい程なく、それは政府や東電の対応(事故の前後双方)に対して批判してる大半の人も同じだと思う。
It is easy to be wise after the event.で“進言した人には批判する資格があると思うけど、進言してない人が批判するのはおかしいし、私には出来ない。”という事かなと思います。

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